公園の木

子どもと雨の止んでいる隙を狙って公園に行きました。遊んでいると雨がまた降ってきたので雨宿りをしようと木の下へ行きました。二年近く剪定されていない木の下を選びました。殆ど濡れずにすんだので助かりました。

剪定されたばかりの木は、枝も葉も殆ど無く無残な姿になっています。本来の木の姿とは程遠いように見えます。その木の周りには障害物は無く、通行の邪魔にもなっておらず、剪定した理由が分かりません。剪定する意味が無いと思いました。

木を大きくすれば夏の強い日差しを防ぐことができ、草も生えにくくなります。多少の雨ならしのげます。木に集まる生物を見たり、種を集めたり、学びの場にもなるとおもいます。

 

 

木は光合成をしています。二酸化炭素を吸収し、酸素と炭素に分けます。酸素は放出され、炭素は炭水化物やリグニンに分けられ蓄えられるそうです。

 

剪定された後の木は光合成の量が減ります。剪定後の枝葉は市の処分場で焼却処分され、木が蓄えていた炭素と、酸素が結びつき二酸化炭素になります。いい事はないです。

 

まったく剪定しないほうがいいとは思いません。

落ちてきそうな枯れ枝をとるとか、通行に支障が出る所だけ落とすなど、剪定の方法を変えたほうがいいと思います。もちろん処理方法も。

これは近所の公園だけではなく、学校や街路樹や個人宅など全国的にそうなればいいと思います。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    sawa (月曜日, 02 5月 2011 21:52)

    その通りですね。
    生活に支障が無い場所なら出来る限り自由に。
    お役所仕事はただやればいいだけですから。
    自分もかつては経験していますので。
    でもかなり前ですがテレビでどこかの地域では試験的にいわゆる街路樹剪定は行わない方向にと。今後そんな地域が広がって行けばいいですね。丸坊主の樹は痛々しいです。

  • #2

    庭屋縁 (月曜日, 02 5月 2011 22:55)

    >sawaさん

    毎年丸坊主にしている木がたくさんあります。毎年いじめているようなものだと思います。そのことに気付いていない人がたくさんいます。その中には造園業の人もいると思います。悲しいことです。